2013年9月4日水曜日

『攻殻機動隊』原作の世界

 黄瀬和哉監督、冲方丁脚本・シリーズ構成による新シリーズ『攻殻機動隊ARISE』が、もうすぐ公開となる。押井守監督による『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』『イノセンス』の2部作、そして神山健治監督によるテレビシリーズ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』とその続編『2nd GIG』に続く、第3の映像化シリーズとなるわけだが、果たしてどのような仕上がりになるのか、期待で胸を膨らませている方も多いことだろう。この稿ではこの話題作の公開を前に、改めて士郎正宗による原作コミックの世界を振り返っておきたい。

 まず手初めに、コミック版『攻殻機動隊』のアウトラインを確認しておこう。本作は1989年から2001年にかけて、雑誌『ヤングマガジン』および『ヤングマガジン海賊版』誌上において、断続的に掲載・発表された。連載期間自体は約10年と長期に渡っているが、その内容は大きく3つに分けることができる。
 まずひとつ目が、1989~90年にかけて連載され、のちに加筆のうえ『攻殻機動隊』として単行本にまとめられたもの。続くふたつ目は、1997年に集中的に連載されたのち、単行本『攻殻機動隊2 MANMACHINE INTERFACE』としてまとめられたもの。そして3つ目が1991~96年にかけて断続的に発表された短編を集めた『攻殻機動隊1.5 HUMAN ERROR PROCESSER』である(ちなみにこの『攻殻1.5』は2003年、まずはブックレットつきCD-ROM版として発売され、その後の2008年に、アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』制作時に関連資料を追加した書籍版が発売されている。なかでも書籍化にあたって追加された資料部分――シナリオやプロットなどは、アニメ版制作時のスタッフ陣の思考の跡が窺える貴重な資料となっている)。

 まず注目すべきはやはり、最初の『攻殻機動隊』だろう。1980年代中盤に起こったサイバーパンク・ムーブメントの影響をたっぷりと感じさせつつも、独自のビジュアル表現へと昇華させた本作は、士郎正宗の代表作である。
 舞台となるのは2029年の近未来、高度に発達したコンピュータネットワークにより、国家というよりむしろ、企業集合体として存在する「日本」。主人公の草薙素子は、国家の枠では捉えきれない者たち――その多くは国際的な企業の幹部や権力者である――を強制的に排除する、いわば超法規的な存在として、まずは私たちの前に姿を現す。その後、公安の幹部であった荒巻と知り合った彼女は、仲間たちとともに総理直属の部隊「公安9課」を設立。さまざまな事件を追うなかで、超AI級とも噂される凄腕ハッカー・人形使いと遭遇し、ついにはコンピュータネットワークのなかに姿を消す……というのが、本作の物語の大枠である。
 もともと士郎は本作に(のちに押井守版の表題ともなる)『GHOST IN THE SHELL』というタイトルをつけようとしていたというが、その意味でまさに本作は、草薙素子という「義体=殻(SHELL)に囚われていた魂(GHOST)」が、身体を脱ぎ捨てるまでの話として理解することができる。またそうした原作のエッセンスを、ユニークな映像感覚の持ち主である監督・押井守が解釈・昇華した結果が、映画『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』だったといえるだろう。
 だが『攻殻機動隊』を一読して圧倒されるのは、そのようなストーリーを支えるために繰り出されるページいっぱいに詰め込まれたガジェット、情報量の多さにある。単行本冒頭に配置されたニューロチップの拡大図、欄外にぎっしりと書き込まれた注釈とお遊び、公安部に「ポリコ」、脳潜入に「ブレンダイビング」、群れに「パターンコントロール」とルビを振る言語感覚、あるいは「俺はM2007(マテバ)が好きなの!」というトグサのセリフにも顔を覗かせるミリタリーへの偏愛、そしてもちろん光学迷彩を初めとする刺激的ななビジョン/ビジュアルの提示……。いくつものレイヤーが同時に進行し、一気に読み手の脳に流れ込んでくる感覚こそが、まさに『攻殻機動隊』の真骨頂だ。

 そして重要なのは、そうした圧倒的かつトリヴィアル(些細)な情報の洪水が、先ほど簡単に触れた「魂と身体」のテーマへ収束する。そこにこそ『攻殻機動隊』の本領がある。そしてこの本領を最も端的に表しているのが、本作の最後に置かれた人形使いと素子の会話である。
 本作の終盤において、素子が追っていたハッカー「人形使い」の正体が、実は高度に発達したネットワークが生み出した「自意識(のようなもの?)」だったことが判明する。素子に近づき、融合を求める人形使い。彼(?)は、素子に語る。ネットワークはデータのコピーを繰り返すことで、無限に膨張を続けることができる。しかしそこには「ゆらぎ」がなく「個性や多様性が発生しない」。硬直したシステムを待っているのは死だ。だが、素子の意識と融合(一体化)すれば、システムに不確定性を導入し、「死」を回避できる――。
 面白いのは、この先だ。そんな人形使いの願いを承諾したあと、素子はこう質問を発する。「なぜ私を選んだの?」。その質問に対して、人形使いは「エン(縁)があったからだ」と応える。思わず素子はその答えに、「ネット内に仏教辞典でも持ってるの?」と突っ込むのだが、それはともかく、「魂と身体」の問題は、物語の最終盤に来てまた別の論理体系(宗教、あるいは神話の?)によって――言い換えれば「比喩」によって別の言葉へと置き換えられ、横に、斜めにズラされる。そんな感覚がある。
 そしてそのようなズレがただ闇雲に増殖し、ある意味、機械的に(?)繁茂する。そのような物語として、次作『攻殻機動隊2 MANMACHINE INTERFACE』が私たちの前に現れる。

『攻殻機動隊2 MANMACHINE INTERFACE』の概要をひと言で言い表すのは、恐ろしく困難だ。ひとまず舞台は、素子が公安9課を去り、人形使いと融合を果たした後、4年5ヶ月後。そこで彼女は、世界的大企業であるポセイドン・インダストリアル社の、幹部のひとりとして姿を見せる(彼女は自身の名前を「荒巻」と名乗っている)。彼女は、同社の豚クローン臓器培養施設が何者かによって襲撃された事件を追うことになるのだが、しかしその追跡の最中で、次々と義体を乗り換え、あるいは他人の身体を乗っ取りながら、捜査を進めていく。しかも物語の最終盤では、そうやって私たちの前に現れた素子(のように見える人物)が、実はネットワークから生まれた複数の素子(同位体と呼ばれる)のひとりであることが判明する。
『攻殻機動隊2』を特徴づけているのは、まさにこうした「何が本物なのかわからない状況」だ。例えば、冒頭近くで描かれる、素子と秘書・グレスの会話シーン。ネットワーク越しに対面する2人は、互いにネット用のアバターを介し、対話を交わす。アバターではキリッとした表情でネクタイを締めるグレスは、しかし実際には、寝ぼけ眼でトイレにしゃがみ、素子との対話を進める。しかもそうした「仮面」をつけた状態は、相対する素子においても同様だ。このように『攻殻機動隊2』では、本物の素子自身がどこにいるのか、読者にもすぐそれとはわからないように、無数の「デコイ(囮)」がばら撒かれている。
 あるイメージがすぐさま別のイメージに置き換えられ、しかも物理的な制限を軽々と越えながら、また別の物語へと接続・変換されていく。そのひたすらな増殖、連鎖……。加えて『攻殻機動隊2』が描いているのは、2035年3月6日という1日のうちの、わずか9時間ほどの物語である。エピローグで告げられるようにこの日、人類は珪素(シリコン)を主な成分とした新たな知的種族(?)の誕生に立ち会う。それは前作『攻殻機動隊』で予告されていた「殻(SHELL)」に「知性/魂(GHOST)」が宿る瞬間でもあるのだが、いわばこの物語は――コンピュータが自意識だけでなく、身体を持ったその日の、素子の行動を追った一編という構成になっている。
 極めて短時間の出来事を――それこそ物語の「本体」がどこにあるのかわからないほどに、無数のガジェットとデコイ(囮)で埋め尽くし、膨大な情報とともに読者の頭に流し込むこと。『攻殻機動隊2』を読むとは、そうした読書体験にほかならない。

 さて残された『攻殻機動隊1.5』だが、こちらは、素子が公安9課を去る前が舞台。原作者自身「9課の日常業務の話」と語るようにが、9課に持ち込まれた事件の解決におなじみの面々があたるという、極めてストレートなディテクティブストーリーとして仕上がっている。素子という存在を追いかけながら「魂と身体」について思弁を展開した本編とはまたひと味違う、「刑事モノ」としての魅力に満ちた一編だ。
 また周知の方も多いと思うが、神山健治監督の『STAND ALONE COMPLEX』は、この連作にインスパイアを受けている。押井版が原作の核をビジュアル化したものだとすれば、キャラクタードラマとしての側面にスポットを当てたのが神山版、ということができるだろうか。また『STAND ALONE COMPLEX』シリーズは衣谷遊によるコミカライズが進行しており、こちらもファンにとっては映像を追体験できる嬉しい一作だ。

 ひとまずコミック版『攻殻機動隊』は、この『攻殻1.5』の刊行をもって完結することが、士郎正宗自身によって宣言されている。だがその魅力は、読む人や時代によって、大きく表情を変える(その意味では、本稿もまたそうした読みのひとつでしかない)。詰め込まれた情報量によって読者を幻惑させながらも、新たな世界を垣間見せる。そんな作品だといえるだろう。

(注)『S-Fマガジン』2013年7月号「攻殻機動隊」特集に寄せた一文(ブログ掲載にあたって、改めて加筆・修正を加えている)。コミック版『攻殻機動隊』の概要を、初心者にもわかるように解説してほしい、という編集部からのオーダーを受けて、執筆したもの。

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