2013年9月4日水曜日

沙村広明『ハルシオン・ランチ』

これまでも「少女漫画家無宿 涙のランチョン日記」(『おひっこし』所収)などで、ギャグ/コメディ漫画家としての側面を窺わせていた沙村が、本格的に取り組んだ長編ギャグ作品。物語は、人生に煮詰まった中年男・化野元(あだしのゲン!)が、河原で謎の美少女・ヒヨスと出会う場面から幕を上げる。川に釣糸を垂らしならが、自分がこれまでどれだけ苦労してきたか滔々と語る化野。しかしヒヨスは、そんな化野の苦労話を右から左へと聞き流すどころか、化野の唯一の財産であったリアカーを“食べ”てしまう。そう、彼女は未知の惑星から“食べ物”を探して地球を訪れた宇宙人だったのだ……。

とまあ、いかにも不穏な場面から幕を開ける本作だが、河原を舞台にしたギャグマンガといえば古谷実の傑作『僕といっしょ』を思い出さざるをえないし、河原で謎の美少女と出会うというシチュエーションだけ取り出してみれば、中村光の『荒川アンダー ザ ブリッジ』を連想させる。しかし『ハルシオン・ランチ』は、そんな先行する“河原系マンガ(!?)”の系列に収まってよしとする作品ではない。第2話では、化野を窮地に追い込んだ同僚・沖進次と彼の家に寄宿する2人目の宇宙人・トリアゾが登場し、沖と彼女は借金の原因となった女を追って青森に飛び立つことになる。一方、東京に残された化野とヒヨスは、八王子から南の島を経由して、なぜか立川のホームレス村にたどり着き、しかしその頃、沖たちは北の某国で捕らわれの身になる。書いていて自分で何を言っているのかよくわからなくなってきたが、つまり物語は決して直線的に突き進むのではなくジグザグに、まるでアミダクジで遊ぶがごとく行き当たりばったりに右往左往し、そして当初はまったく想像もできなかった場所――人類の再誕生という終幕へと読者を導いていく。

……と、このように整理してみると『ハルシオン・ランチ』は――現代を舞台にしたギャグと時代劇というまったく異なるジャンル、外見に関わらず、『無限の住人』によく似た構造の作品なのだ。もちろん笑いがベースにある『ハルシオン・ランチ』の方が『無限の住人』より、格段にテンポが早い。そして何より、ページの隅から隅までびっしりと描き込また大量のネタ。他作品のパロディはもちろんのこと(というか、そもそも本作は『荒川アンダー ザ ブリッジ』のパロディ/本歌取りとして始まったのではないかと思う)、時事ネタ、読者の予想を軽々と裏切るナンセンスな展開、雑誌掲載という形式を活かしたギミック(ヒロインの裸を隠す払込取扱票!)などなど、これでもかといわんばかりにアイデアが盛り込まれている。

というかこの大量に詰め込まれたネタが、飛躍に次ぐ飛躍を見せるストーリーラインへのツッコミとして機能する。そこが『ハルシオン・ランチ』の――そしてギャグ漫画家としての沙村の、チャームポイントだ。終局に向かってまっすぐ進むのではなく、横へ横へと物語が逸脱しながら、しかしその逸脱を大量の饒舌で埋め尽くしてしまうこと。そしてその饒舌が、横へとズレる逸脱=運動に対して「どないなっとんねん!」とツッコむ機能を果たすこと。優れた物語作家は、笑いの感性にもまた長けているものだが、言い換えれば『ハルシオン・ランチ』からツッコミを取り除いて、グッと物語の進行スピードを落とせば『無限の住人』や『ブラッドハーレーの馬車』が現れる。そんな気がしてならない。

インタビューによれば本作の連載は、ほとんど偶発事のようにスタートしたというが、もしまたチャンスがあれば、沙村にはこうしたナンセンスな喜劇をもう一度、描いてほしい。心からそう思う。

(注)「Febri」第17号掲載の、沙村広明インタビューに寄せた作品評のうちの1本。

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