2013年7月20日土曜日

『エウレカセブンAO』第24話「夏への扉」

『エウレカセブン』において、サッカーは特別な位置を占めている。ボールを蹴って、パスを出すこと。それはすなわち、言葉を投げかけ、託し、相手に賭けることにほかならない。

『交響詩篇』の第39話、フットサルの試合に途中出場したレントンは、エウレカの呼びかけに応えて、生まれて初めてパスを出す。すべてをひとりで背負い込み、パスを出せなかった少年は、ここで初めて人を信頼することを知った。
もう一度言おう、パスを出すとは、相手に賭ける、そんな対話のあり方なのだ。

『AO』最終話に挿入されたアオとレントンのサッカーシーンが意味するのは、まさにこうした“対話”にほかならない。これまでの自分の歩みを語り終えた父は、息子の胸めがけてボールを放ち、去って行く。『交響詩篇』の象徴たるレントンが息子に託した、この世界からスカブをすべて消し去るという“パス”。彼のパスを受けたアオ=『AO』は、どうしたか?

もちろん、彼は彼なりの“シュート”を放つしかない。

3度の世界改変を経て、母・エウレカを取り戻したアオ。しかしスカブを消し去ろうとする両親に対して、彼は決然と「ノン!」を叩きつける。なぜなら、スカブを否定することは、彼が歩んできた人生を否定することだから。その結果、アオは未知の2027年へ――誰も彼のことを知らない世界へ旅立つことになるだろう。

しかし、そこに後悔はない。この不条理に満ちた世界を否定するのではなく、徹底的に肯定してやること。リアリズム(現実主義)の、その先へとシュートを蹴り込むこと。そこから、ぼくたちの“人生(試合)”は始まるのだし、そのようにしか始められないのだ。
脚本/會川昇、絵コンテ/村木靖・京田知己、演出/京田知己、作画監督/小森高博・可児里未・山崎秀樹、メカ作画監督/吉岡毅、キャラクター監修/織田広之・吉田健一


(注)
「Febri」第14号掲載の『エウレカセブンAO』後編全話解説に寄せた文章。とある事情から第一稿がNGになり、どうしよう……と、うんうん唸りながら本編を観直していたとき、「サッカーだ!」と突然天啓が降って湧いた。そこから小一時間くらいで書きあげたと思う。

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